2014年7月 4日 (金)

僕が勤務するクリニックは生殖医療専門施設ではないので

高度な(いわゆる体外受精など)不妊治療は行っていない。

せいぜい、AIH止まりだ。

ほとんどの場合は基礎体温を記録してもらって

卵胞をチェックし

性交渉のタイミングを合わせて貰うことになる。

なかには病院にくればすぐに妊娠すると思っている人がいて

「もう3ヶ月も通っているのに妊娠しないから

紹介状を書いて欲しい」という人もいる。

その場合は

喜んで紹介状を書く。

そういう人達はいい。

しかし

スクリーニングをしていくと

時々

こりゃガチで不妊だなと

思う事がある。

こちらから

専門施設でのフォローアップをお奨めするけれども

ご本人達の仕事や居住地の関係で

結局

当院で治療を続ける事もある。

タイミングを少しずらしてみたり

薬を変えてみたり

いろんなパラメーターを

微妙なさじ加減でいじってみる。

毎回、

生理が来てしまうと

こちらも本当にがっかりする。

がっかりしながら

「俺は不妊治療には向かないな」と思う。

向かないなと思いながらも

またちょっと

タイミングをわざと半日ずらしてみたり

色々患者と相談しながら

工夫していたら

立て続けに

4,5人

妊娠した。

この時の気持ちは

なんとも言えないものがある。

嬉しいというよりも

不思議な感じだ。

こんなにいっぺんに妊娠すると

勝手なもので

「もしかして俺は不妊治療の才能があるんじゃないか」とさえ思う。

ま、ないんだけど。

胎囊が見えても

育たずに終わっちゃうことも

あるし

わかってはいても

残念な結果になれば

またそれも辛いものだな。

流産の説明をしたあとに

別の中絶希望の患者が来るとか

入れ替わればいいと思うけどね

なかなか上手くいかないよ。

2014年6月 1日 (日)

清水建設の将来の重役

岩崎さんは

その地位の人であれば意外に当然なのかもしれないが

率直に約束を反故にした非礼を詫びたそうだ。

そして

彼は川越先生に

埋め合わせをしたいと申し出た。

 

あらためて

六本木の高級な日本食の店を

予約し

川越先生は

僕らを置いて

一人東京へ向かうことになった。

 

僕らの目の前で

携帯電話で楽しそうに

それじゃぁオークラまで

迎えに来てくれるんですねと

話していた。

 

そして

それが

岩崎さんの最後に取った

連絡となった。

 

どんなにか

すごい接待を受けたのだろうかと

期待していた

僕らは

次の勤務が待ちどおしかった。

早く川越先生を

質問攻めにして

その酒池肉林の世界を

ジェラシーで刺激された想像力を使って

生々しく

感じたかったのだ。

 

「せんせ、どうでした?

うまいもの食ったんすか?」

 

「女が二人一緒だった」

 

 

「ええええ!!

女性同伴ですか?」

 

「そうだ。

しかし、岩崎さんは来なかった。

心筋梗塞で倒れたらしい」

 

「は?」

 

「直前に

岩崎さんの奥さんから連絡があってな。

大丈夫かな。」

 

僕らの心の中に

複雑な思いが膨らんでいった。

 

 

 

 

*実在の人物、組織などとは関係ありません

2014年2月27日 (木)

子供のオムツを替えている時に

一度くらい自分の身体の中も見てみたいと思いまして

近くのクリニックを訪ねました。

身体の中を見たいとはいっても

いきなり腹を切り裂かれたら困るので

内科のしょうちゃん先生にお願いしたのです。

タイトルとは順番が違いますが、

腹部エコー、上部消化管及び、下部消化管の内視鏡

検診をしていただくことにしました。

まずは腹部エコーです。

これは相当勉強になりました。

我々産婦人科医も腹部エコーやるわけですが、

内科の先生のプローブの動かし方をまさに身をもって体験したのです。

数日前にフェイスブックの話題で

勉強していたというのもあります。

肝腎の結果というかむしろ

肝腎コントラストはあれでしたけど。

「バミュくん、お酒…。」

「やはりですか?」

「うん、キラキラしてる」

「キラキラ研修医ですね」

脂肪肝は時間をかければ治るとか

治らないとかいうことなので

とりあえず今日は飲んでません。

あとは、以前から指摘されていた胆嚢ポリープですね。

これは一年に一度チェック。

爆弾を抱えているような気分です。少し泣きそう。

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引き続き

鼻からの上部消化管内視鏡検査です。

綺麗な看護婦さんが

お鼻にシュッシュッってしたあと

左からいってみようということになりまして

ドロリとしたストロベリー芳香の麻酔を鼻から吸い込みます。

プールで水を吸った時みたいに

ちょっと頭につーんときたのは

入っちゃいけないところに入ったんではないかと思って

心配になりました。

その後、麻酔のゼリーで浸したシリコンみたいなチューブを

お鼻の中に入れられます。

あれって、最初は下からいれるけど途中でチューブを頭側に倒すのな。

その時、ちょっと痛かった。

我慢出来ないほどではないけれども。

食道とかよっぽどひどい事になっていると思っていましたが

なんとか大丈夫だったみたい。

少なくとも逆流性食道炎は大丈夫そう。GERDはわからんけど。

胃の中はシワシワで充血しているように見えたんだけど

こういうのが良い胃なんですってね。

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日を改めて

下部消化管の内視鏡検査に向かいます。

川越先生にさんざん痛いのなんのって脅かされたわけですが

よく考えたら川越先生は受けた事のない検査なので知っているはずがないわけです。

おじさんの言う事なんて適当だから無視しようと思ったら

しかし、更に気になる事をおっしゃる。

「ナースが可愛かったらどうするんだ?」

そういや、

胃を見てもらったときにモニターの横にいた看護婦さんも

おいらの背中を優しく摩ってくれていた看護婦さんも

綺麗だった。

「まじか?可愛いのか?

それでその値段か?良心的だな。

俺も受けるか。バミュの紹介って行ったら更に安くなるかな?」

若干勘違い気味の川越先生ではあります。

前日から

なんかレモン味のでっかいドリンクを渡されまして

これが全部酒だったらよかったのにと思いながら

2時間かけて飲み干していたので

いまだにお腹が痛い。

受付に到着すると

カウンターで女の子の写真、じゃなかった、

便の写真を見せられるわけです。

そして

「どのくらいの感じになりましたか?」とか

綺麗な看護婦さんに尋ねられる。

川越先生に報告したら、

羞恥プレイかよ!って言うはず。絶対。

その後、

着替えを渡されて

綺麗な看護婦さんに

別室へ案内される。

「こういうところはじめてですか?」

「はい、まぁ、はじめてですけど、似たような感じの所には…」

「あ、それじゃぁ、頼もしいですね」

我ながらなんの会話をしているのか分からなくなります。

着替えてベッドの上で待っていたら

綺麗な看護婦さんがいったん退場して

なんか着替えてくるのかしら?とか思っていたら

次に登場した時には

男のいかつい看護師になっていた‥。

正直、がっかりした気持ちになったことを

ここでお詫びします。

しょうちゃん先生に

直腸診をされたあと

尻から内視鏡が進入してきました。

なんか

命を掴まれたかんじといいますか、

なんともいえない感触です。

胃カメラはそうでもなかったですが

大腸の方は辛かった。

経験者が

「大変だった」っていう気持ちがよく分かりました。

ガスを注入するたびに

お腹を壊している時の

あの腹痛が蘇ります。

ファイバーの先が下行結腸を進む感触もわかる。

脾弯曲部でまた少し痛い。

肝弯曲部でもまた少し痛い。

そして

男性看護師のでかい手がお腹をさすっているのも

若干逆効果的な‥。

結果としては

上行結腸に憩室がひとつ発見された以外は

大丈夫だったようです。

次は眠らせてもらおうかな。

所見を

人体図にバッテンで記入すると

高田英夫のディレクトシステムみたいになって

強そうですが

実際には弱点てきな所です。右側に集中していますね。

しょうちゃん先生にお礼を伝えて

飲みに行く約束もして(おい!)

クリニックを後にしました。

もっと留学のストレスとか

不摂生でやばい事になっているかと

予想していましたが

もうしばらくは

子供の成長を見ていけそうです。

2014年2月 4日 (火)

なんか、当院で

宣伝の動画を作ったそうだが…。

ゆるい…。

ゆるいし、金もかかってない…。

スマホで撮ってんじゃん。

しかも、

言葉がわからん…。

フクイ産婦人科 Portugal fukui sanfujinka
YouTube: フクイ産婦人科 Portugal fukui sanfujinka

ぽ、ポルトガル?

フクイ産婦人科 Vietnam fukui sanfujinka
YouTube: フクイ産婦人科 Vietnam fukui sanfujinka

べ、ベトナム語…。

後ろ姿でプリティなお尻を突き出しているのは浦和先生だす。

ちなみに

うちの

おばちゃまナースに

「アクセス数を稼ぐためにYouTube見てね」とお願いしたら

「みるみる!見ます!

何時からですか?」

だって…。

いいよ…。見なくても…。

2014年2月 1日 (土)

川越先生がウキウキしている。

いよいよ明日、

岩崎さんから六本木で接待を受けるのだ。

僕がこっそりオペの担当を増やしても

カルテを多めに回しても

川越先生は文句ひとつ言わず

仏のような顔で仕事をこなしている。

居酒屋「でんすけ」のマスターに聞くところでは

あれ以来、

岩崎さんと川越先生は

ますます親しくなったんだそうだ。

大企業のそこそこ偉い人と産婦人科のお医者という

普通はあまり出会うことのない二人は

お互いを認め合っている様子だった。

人のいい

岩崎さんは川越先生の飲み代を出そうとするのだが、

川越先生は川越先生でそれでは申し訳ないと

二人の間で勘定書の取り合いがはじまる。

大抵は強引な川越先生が勝って、支払をするそうだが、

もちろん岩崎さんもたまには男を見せる。

なんていっても清水建設の次期役員であるから。

岩崎さんは「でんすけ」のマスターを呼んで

財布を出そうとするが

酔いで

財布をどこに仕舞ったのか忘れてしまっていて

モタモタしている。

そうすると

しびれを切らした川越先生が

再び勘定書をひったくり

支払を済ませてしまうのだ。

ふたりは自分達のそういうやりとりを客観視して

ふと我にかえり

馬鹿笑いをし、

六本木では任せて下さい、いや任せましたからねと

肩をたたき合うといった調子らしい。

あの飲み会の時に「でんすけ」のカウンターで

撮った写真を見る。

真ん中で酒を飲んでいる岩崎さんは鼻が赤くなっていて

知らなければ誰もこの人を清水建設のエリートだとは思わない。

「あぁ、僕も行きたかったなぁ」僕は言った。

川越先生は嬉しそうに笑って、

まぁ、次な、次と繰り返した。

次はすぐにやってくるような気もするし

永遠にやってこないような気もする。

川越先生の携帯が鳴ったとき、

僕はまだ「連れて行って下さいよ。ねぇ、いいでしょ?」と

食い下がっていた。

「ちょっとまて、岩崎さんからだ。」川越先生が言った。

「もしもし、あぁ、僕だけど。明日のことですか?何時でしょうかね?

え、現場で事故?」

川越先生の顔が曇る。僕の顔が明るくなる。

「ええ、僕は大丈夫だよ。岩崎さんは平気なの?怪我は?

あそう。気にしなくていいですよ。又の機会に」

川越先生はしょんぼりしながら電話を切った。

「どうしたんですか?」僕は喜びをかみ殺しながら尋ねた。

「中止だってよ。自分の担当ではないんだけど、別の現場で

事故があってそっちの責任者が若すぎるもんだから岩崎さんが

呼び出されるんだと。

大学出の若いのは職人達を束ねるのは難しいんだって。バカにされちゃって」

「そうですか、大変ですね。

いえ、笑ってません。ホントに笑ってませんって。え、そのカルテ?

知りません。知らないはずがないって?

知らないですよ。オペですか?今日は先生のオペが結構ありましたけど

それも知りません」

川越先生は仏の顔から鬼の形相になって

次の一ヶ月を過ごすことになった。


*実在の人物、組織などとは関係ありません

2014年1月31日 (金)

もうどのくらいの月日が経つであろうか……、

夜中に緊急の呼び出しを受けたあの時、

僕が車に飛び乗った格好は作務衣だったので

たぶん少なくともそんなに寒い頃ではなかった。

常位胎盤早期剥離で緊急帝王切開をした。

正直言ってほとんど道路交通法違反みたいな

運転で病院に到着した。

オペの準備をしている僕の耳元に看護師が

PHSの受話器を押しつけてきたので

僕は

電話の向こうの小児医療センターの先生に向かって

「早剥だと思うんです。いま、切るところです。

来て下さい。お願いします。すいません。お願いします」と叫び

当直だった浦和先生と

ドレープもかけずに腹を切り始めることに。

娩出した赤ん坊の具合は悪く

僕はオペの手を下ろして

クベースで蘇生を開始した。

あの時

浦和先生は「ダメだ」と思ったそうだ。

赤ん坊は全然泣かなかった。

僕はせめて小児科の医師が到着するまで

吸引したり

薬を使ったり

刺激したり

挿管の準備したり

なんとか命をつなぎ止めておきたかった。

どのくらい時間が経ったのだろう。

看護師が記録をつけているはずだけど覚えていない。

赤ん坊の皮膚に血流が戻り

ピンクアップしてきた。

どうにかがんばって欲しいと思って

僕は蘇生を続けた。

なんだか自分の子供の姿が脳裏に浮かんで

助かって欲しいと思った。

「そっちどう?」浦和先生が一人で帝王切開を続けながら言った。

「わかりません」

「そっか」

「せんせ、そっちは?」

「うん、こっちは大丈夫。そちらをがんばって」

赤ん坊が泣いたような気がした。

たぶん泣いた。

聞き間違いではない。

今、はっきりと

泣き出した。小さな声だけど。

クベースに収容して

旦那さんを呼んで面会をしてもらった。

予後に関しては

景気のいい話は出来なかった。

「母体は助けられると思う」と話した。

若い旦那さんは

「そうですか」とだけ言った。

小児科の先生が到着して

子供を救急車で連れて行った。

当直の浦和先生の、

全員で起きていたら明日の外来がまわらなくなるから

バミュは帰れ、という指令で

僕はその日帰らせてもらった。

駐車場の僕の車はライトがついたまま

斜めに停まってドアがあいていた。

家に帰って寝ようとしたとき

右足の脹ら脛全体を被うように

血液がべっとりと固まっていた。

シャワーを浴びて

自分の子供が寝ているベッドの横に潜り混んだ。

「お父さん、赤ちゃんを助けてきた」と言ってみたかった。

言えるわけないんだけど。

久しぶりにみた患者さんは元気そうだった。

腕にはまるまるとした赤ん坊が抱かれていた。

頼りなさはなく

しっかりとしていて

血色もよく声も大きかった。

「ほら、助けてくれた先生達だよ」

母親が赤ん坊に言った。

それは

とてもうれしい一言だった。

自分で蘇生した子供の元気に成長した姿を見るのは

初めてだった。

助かってくれてありがとう。

2014年1月27日 (月)

子供が風邪をひきまして

こんこんしている姿を見ると

どうしても可哀想で

そうかといって何もできないので

もどかしいです。

風邪なんて自分がひいた分にはどうってことないのに

子供がひくと

「ほんとうに風邪なのか?」からはじまって

鑑別診断やら合併症なんかが

頭をよぎります。

その心配が過剰になると

放射脳ってことになるんでしょうな。

気持ちはわかる。

それでも賛同はしない程度に強い精神と諦める心を持ち続けたいですが。

目下

小児用の聴診器を購入して

毎日心臓と肺を聴診しているところです。

子育てというのは心配が尽きなくて

これ以外の我が家の最近の心配トピックは

夜寝なくて困るってのと

言葉が遅いっていう二つでした。

言葉の方は1歳半検診の時に

ちょっと遅いと指摘を受けました。

5つ以上の言葉を意味を分かった上で話すのが目安なんですってね?おくさん。

一言も喋らなかった。

緊急カイザーしたくらいだったからそういうのも関係あるんかいなとか

素人みたいな事を考えた時期もありました。

当院の看護婦さんから

「せんせい、何かを欲しがったらすぐにあげないで

これはなぁに?って言わせるようにしてからあげるんですよ」とか

「男の子は言葉が遅いから、3歳くらいまで話さない子供もザラよ」とか

「言葉の器が一杯になって外に溢れる頃に話し始めるよ」とか

子育て初心者へのアドバイスをいただきました。

実践しましたよ。

「ほれ、これ欲しいのか?なんだ?いってみ?

いったらあげる。

え?バブー?ちがいます。響17年のクラッシュアイスで作ったロックです。

こんかいはお父さんが頂きます」

とかふざけてたらヨーメに怒られたりして。なみだ。

子供の方は呑気なもんで

まぁ、こっちが言っている事を理解しているように見えなくもないし

喃語で何かを訴える

状態ではありました。

が、色々考えて

うちにテレビがないのももしかしたら良くないのかなとかこっちの気持ちは揺れますね。

しかしともかく

せっかく今までテレビ見てないから

もうしばらくは

iPhoneで

トイ・ストーリーをみせておこうと決めましたけどね。

そして

ある日

言葉を口にしました。

「くっく」

出かけるときに履く靴が

いたく気に入っていたようで

それをヨーメがいつも

「おくつ、くつ、くっく」とか

色々工夫して教えていたら

ついに最初の一言がでたそうです。

ホッとするよね。とりあえず。

それから5つの言葉を発するのにまたしばらく時間がかかりましたので

気を揉みました。

くっく、

ママ、

アカ、

イエス、

モーモー(牛ではなくてヨーメが子供を注意するときの言葉)

1ヶ月かかって

5つ言えるようになりましたが、

所詮おまけですからね。モーモーとかカウントしていいもんだか悪いもんだか。

そんなガラスのハートの

心配にさらに拍車をかけるような情報をヨーメが仕入れてくるじゃありませんか。

「最初に言葉を発した時から3ヶ月で20から30の言葉を話すのが次の目安」

なにそれ。

いくらなんでもあと2ヶ月でそんなに喋れないと思いましたよ。はっきりいって。

ちょっと驚いたのとがっかりしたのですが、

そんなのしょうがないわけですから、

だからもう、この子はこの子のペースで

ぼちぼち頑張ってもらおうと覚悟を決めました。

そうこうするうちに…。

くっく、

ママ、

アカ、

イエス、

モーモー

パパ

だでぃ

…。

…。


あお
オーケー
ブーブー
ウッディ
ヨウたん(おばあちゃん)
モーモー(牛)
ガオ(レックス)
ワンワン(スリンキー)
イーヨ

アーメン
タイヨウ
メェ(ひつじ)
ウマ
バズ(Buzz Lightyear)
うーたん(おじさん)
ガーガー(あひる)
ミミ
アメ(雨)
タイツ
オウチ
ヨシ
ホッペ

パン
ケコ(にわとり)
ジョージィ(Curious Georgeや猿、ゴリラのこと)
シュポッポ(機関車、電車)
ガッキ(サックス)
オッパイ
ミッフィ
シーシー(おしっこ)

おた(お茶)

ミッキー
きいきい(きりん)
プリーズ
バッグ
アンヨ
アシ
モミ(クリスマスツリー)
ニャアニャア
オイチイ
ナイヨー(空ですという意味)
ボウシ
オイシ
オカユ
アイス
ワイン(お父さんが飲むのをみて覚えたみたい)
いっちょう(お父さんがよく連れて行く居酒屋)
あーたん(自分の事)
しゅんたん(おともだちの名前)
おとととと(転んだときに言う)
バンビ
プーさん
あちち
パープル
ピッ(エレベーターのボタンを押すときに言う)
ゴシゴシ
いち(一階)
しょうしょう(少ない)
チュンチュン
ダッチョ(ダチョウ)
ダッコ
サイ
いたいよ(転んで頭をぶつけたとき)
おとしー(オットセイ)
あぺし(意味不明)
あいのー(I know)
ちんちん
はっぱ
とうふ
ぼっこ(ブロッコリー)
イス
パンダ
エンジ(オレンジ)
しろ
スリッパ
かぎ
カーズ(映画のCars)
こうこう
おおきい
クッキー
おしっこ
(ス)プーン
ちゅるちゅる(うどん)
ドア
こっぷ
ひこうき
たまご
きいろ
えんぴつ
シャツ
ボーボー(ボールのこと)
あいふぉん
いす
フォーク
かば

どう(象)

滑舌悪いので時々?????となりますが

急激に喋るようになってきました。

感激しますよね。もう。

高校の時の生物のセンコーが

「パパって言われてはじめて親になった気がする。

それまでは、ああ、こいつに俺のミトコンドリアは伝わっていないんだなと思った」とか

言ってましたが、

帰宅すると

パパって言いながら抱きつかれてはじめて

オーレも父親になったかもしんないと感じました。

もうね、

すぐ、抱っこしたいんだけど

感染症をもちこまないように上着を脱いで手を洗ってうがいをしてからですけどね。

いまでは、

すっかり

夜、寝ません。

「ぱぱ、だでぃ、ウッディー」とか

へんな漫才トリオみたいに叫びながら

iPhoneでトイ・ストーリーをねだります。

面白いんでしょうね。あの映画。

オーレも台詞まで覚えちゃったよ。

ヨーメに寝室に連れていかれても

すぐに戻って来ちゃう。

ドアをあけて、「ふふふ」とか笑って。

俺のガキの頃とそっくり。

俺も寝かしつけられそうになると

おかんの監視をかいくぐり

おとんの部屋のドアを開けて部屋の中を見たもんです。

おとんはベッドに寝っ転がりながらテレビでジュリアーノ・ジェンマを観ていて

俺に気がつくと

「まーも観るか?」つって

手招きをしてくれてね。

オーレは嬉しくなって、

おとんの隣に潜り混み小さなテレビを観ていました。

そうするとだんだん眠気が強くなってきて

遠くで銃声が聞こえて

ジュリアーノジェンマが

日本語でなにか言ってて

いつのまにか寝てしまったわけです。

そういうことを思い出しながら

子供の頭を撫でて

あぁ健康にすくすく育って欲しいなと思います。本当に。

あと、早く寝ないかなって。

スパゲッティウエスタン(マカロニウエスタン)も

iPhoneでダウンロード出来ないかしらね。

2014年1月24日 (金)

アメリカから帰国して1年以上経過し、どうやら日本の生活にも再適応したようです。

再適応にもこんなに時間がかかるとは思わなかったのが正直なところです。

それに加えて

以前と(留学前とも留学中とも)違うところは

外来と当直とオペに溢れた寂寥感たっぷりの生活であり、

終わらない日常に押しつぶされそうになりますので、

上のお医者と相談して新しい事でもやっかということになりました。

新しい事といっても世界初のなんとかってのはクリニックレベルでは無理なので

周辺のごく狭い地域をリサーチして(とはいっても、噂レベル)

他の医療機関であんまりやってないことを

調べていたら無痛分娩なんかがいいだろうということになりまして

えぇ、はじめましたよ。

あのおじいちゃんの自然分娩に対抗してっつーわけでもないです。


実はですね、

我々自身も自然礼賛ってわけじゃあないですが、

無痛分娩なんて正直いってやってもやんなくてもどっちでもいいという派に属しています。

よけいっことして、くびつっこんで自爆するより

やばそうな時に手伝うほうがいいだろうという意見には首肯いたしますから。

 

ただ

アメリカにいた時にあちらの女性方はもう攻めまくりですからね。

待ちの姿勢とかありえない、自然とかなんなの?、痛いのって文化的じゃないって。

もちろん自然好きなのもいるけど、

「自然」=「私が気分良い」

くらいの意味ですから。

 

実際に無痛分娩を経験した人の意見を聞きたいと思っていたので

うちのヨーメにも「おまえ、やってみ?」と嗾けていたわけですが、

あえなく緊急カイザーになってしまったのが心残りです。

無痛分娩の実際はバイト先の病院とかで見たことはありましたけど、

でも、所詮、バイトの時ですからね。

ふーん、こんなもんかって感じで

元気に産まれてくれりゃ、どっちでもいいわけですし、

興味なかったです。さーせん。

 

このような心の動きを経て

うちにきている麻酔科のお医者さんに教えてもらって

当院でも無痛分娩を

はじめてみたんですが

いざ実行するとなると

まぁ、手間がかかる。

 

フェンタ使うのも免許がどうとかだし

エピ入れて

お薬作って

副作用に備えて準備しといて

ほんとに生まれんのかよとか

ドキドキしながら待つわけです。

 

 

しかしその甲斐もあったのかなかったのか

患者さんの満足度は…。

 

メッチャ高かった。

 

昔、殿の言葉で「笑ってお産する人に会った事はない」というのがありましたが、

名言だと思っています。

その名言の反証を見てしまうと

医療ってすごいねって思いました。

 

値段を安く設定しすぎて

希望者が増えてきちゃったのですが

マンパワーも足りないし

条件を選んで実行しているので

残念ながらまだ希望者全員には施行できません。

 

医療者の心にも

わりと無痛分娩はいいってことも

わかってきましたが

そのお話はまた次の機会に。

これから

無痛分娩があるから。

 

 

2014年1月21日 (火)

「おい、バミュ、

こんど接待を受ける事になったぞ?」

川越先生は自慢げにそう言った。

「岩崎さんがだな、

六本木で飯をおごってくれるんだとよ」

「え、六本木ですか?銀座じゃないんですか?」

「俺もな、

銀座がいいって言ったんだよ。

そうしたら、岩崎さんのテリトリーは六本木なんだってさ。

あの経理のばばぁの話を覚えているか?

岩崎さんはいずれ役員になるだろうけれど、まだ違うだろ?

銀座を使って良いのは役員なんだってさ。

六本木ならなんとか連れて行って貰えるらしいよ」

「そうですか、でも、六本木でも十分凄いっすよね。

で、いつですか?」

「は?おまえ、なんつった?」

「いや、だから、その六本木の接待の日はいつですか?」

僕は不思議な気分で聞き返した。

「おまえ、なにを、”ぼくも行きますけど”みたいに尋ねやがるんだ。

言っておくけど、岩崎さんは俺しかさそってないぞ?」

「は?うそだ!うそだ!うそにきまっている!

岩崎さんは僕にも一緒に呑み行きましょうっていってたもの!

ゆず と いきものがかり と知り合いだから

今度会わせてあげますよ…!」

「なんだよ、生き物語りって。日本書紀みたいだな。

おまえが接待を受けるなんて100年はええ。」

「なんでですか!岩崎さん、僕の響をがぶがぶ飲んでたじゃないっすか。

僕にだって六本木に行く権利がありますよ。

先生、連れて行って下さいよ。

ねぇ、いいでしょ?

僕もつれて行ってくださいよ」

僕は必死で食い下がった。外来の開始を遅らせようかと思った程だった。

「やかまし。

いいか、

まずは、先輩である俺が行って、様子を見てくる。

その上でだな、

お前を連れて行くかどうか決めてあげるから

今回はだまって当直をしていなさい。」

本当に医者の世界というのは

理不尽だと思った。

*実在の人物、組織などとは関係ありません

2013年12月17日 (火)

居酒屋でんすけで

知り合いになった

清水建設の偉い人、岩崎さんには息子がいて

医学部を志望しているそうだ。

「なんだか

ドラマをみて

外科医になりたいみたいで。慶応高校に通っているんですけどね。」

さすが大企業の子息

天下の慶応高校の3年生だそうだ。

「医学部って金がかかるんですよね?

学年の順位は医学部に推薦してもらえるくらい

らしいんですけど、

どうしたらいいでしょう?」

岩崎さんは言った。

川越先生も僕も

慶応だったら私立といってもそんなに学費が高くないし

ましてや

入れるなら行った方がいいと話した。

「第一、清水建設に勤めているなら

給料いいでしょ?いくらもらっているんですか?」

いつでもストレートな川越先生の物言い。

「わたしはね、

現場が好きなんですよ。さっきも言ったけど。

現場で職人とやりあいながら

図面通りの建物を造るのが最高です。

だから給料なんてそんなに高くないッスよ。

ただね、

ちゃんと

現場監督が出来る人間って少ないんですよ。

それで色々な地方に呼ばれるんです。

ここに単身赴任で来たのもそういう理由。

酒が好きだから、このでんすけっていう店の近くに

ウィークリーマンションを借りましたけどね。

新幹線の駅の近くに会社が借りたマンションがあるんですけどね。

業者の接待がめんどうくさくて

ほら、カーテンや壁紙なんかをまとめて買ってくれってね。

わたしは静かに飲みたいんです。

それでこの前、こういう風に静かに飲んでいたら

経理のばばあから電話がかかってきて、

こいつは社長の女で

言うことを聞かないと

領収書に判子を押して貰えないんですわ。

判子がないと六本木で飲んでも全部自腹ですから

夏と年末の二回の付け届けはかかせないんですけどね、

ところで

そのばばあが

別の現場の監督にも言ってくれって。

ここから車で1時間くらいですよ?

冗談じゃないですよ。

今の現場だけでも手一杯です。

東京の現場もみているし

これ以上手を広げることは出来ないって断ったんです。

そんなことしたら

酒を静かに飲む時間も無くなるし

第一身体を壊すから

安月給でやってられないって。」

岩崎そう言って僕の響きを飲んだ。

もう少し飲んで良いですか?というのでどうぞどうぞ、僕はお酌した。

「あのね、

そうしたら

次の給料日、

突然500万円振り込まれていたんですよ。

新しい現場が終わるまで月給500万ですよ。

いい加減にして欲しいですよ。

一言もやるなんていわなかったのに

勝手に給料を倍にしちゃって。」

川越先生と僕はさすが大企業だと思って

えらく感心した。

世の中には僕らの知らない事がたくさんある。

「そんな月給なら慶応高校の学費なんて余裕でしょう?」

川越先生が言った。

「そうですかね?

じゃぁ、行かせてやったほうが良いですかね?

なにせせがれは

蛙を買ってきて

解剖してまた縫って生き返らせたりしているんですよ」

まぁ、さすがに慶応の面接でそんなことを喋らない方がいいと思ったけれど

酒の席のことなのだろうから

僕は何も言わなかった。

岩崎さんは飲み過ぎたと言って席を立った。

岩崎さんはニューバランスの靴を履いていた。

清水建設も現場の人はニューバランスを履くんだなと思った。

岩崎さんの知られざる姿がこの後更に強烈に

明らかになっていった。

*実在の人物、組織などとは関係ありません